2009年02月28日

1.25ピースウォークでのスピーチ翻訳

アレ・オマールさん(在日エジプト人)
日本語訳 百万人署名運動兵庫県連絡会
 
イスラエルのガザに対する残酷で不正義の戦争によるすべての犠牲者を弔うた
めに集まっていただき、ありがとうございます。
 この戦争はまたもや、人間性のすべての意味を破壊しました。この戦争はイス
ラエルが私たちアラブ世界の中に悪意の存在として入ってきて以来、幾度となく
繰り返されています。
 イスラエルという名のこの国は、あらゆる意味でのレイシズム(人種差別主義
)、野蛮、テロリズムの極めて明確な現れです。 私がみなさんに訴えたいのは、
いまの問題は非常に大きな歴史的な問題であり、イスラエルと世界の大国が、
巨大な陰謀によって私たちの眼を、ずっとそこからそらせようとしてきたことです。
「ガザ地区」がもともとの問題ではなく、1948年以来、私たちが返還を求めて
たたかっているパレスチナという盗まれた国のことなのです。
 ガザでイスラエルが起こした悪意に満ちた行為、1300人以上の市民―その
ほとんどが幼児、子どもであり、女性です。―その残酷な殺人は初めてではありま
せん。そのことを知っている人、知らない人に、イスラエルがおこなったすべての近
隣諸国に対する、これまでの残虐行為を見つめてほしいと思います。600人のパ
レスチナ人が自分の家で殺され、埋められた1947年のバルダイ、アルシーク虐
殺を思い出してほしい。村が丸ごと殺され破壊された1948年のディアヤシン、
1953年のケビヤ、1956年のコロケラの虐殺、1990年のアルアクサモスク、
4千人にも及ぶ人たちが殺された1982年のサブラ・サティーラの虐殺を。1
970年のバール・アルバーカ学校の虐殺では、イスラエル空軍機がエジプトの
中学校を攻撃し31人の子ども、70人の教師、労働者を殺しました。1990年のガ
ミーン 虐殺では、2週間にわたる包囲のあと村全体が破壊され、殺されたパレスチナ人
を埋めるためのたくさんの穴が掘られました。1996年のカナにおいては、109人
のレバノン人の女性と子どもが殺され、2006年にはカナは再び襲われました。
カリルの虐殺、2006年のレバノン戦争など、多くの残忍な行為がおこなわれ
ました。いまの歴史では、これらすべての所業が成功裏に達成され、誰も責任を問わ
れることなく逃げることが出来たことを語っています。 
アメリカのイラク戦争でサダムフセインは、独裁者と呼ばれ、大量破壊兵器の
存在の疑惑―のちに間違いであったことが証明された―があったために近隣諸国と
世界への脅威とされました。「疑わしいから」といって。それでは、大量破壊兵
器を持ち、それを非武装の人々に使う―その人々の罪といったら、国を守り、平和に
暮らす場所を求めている、そういう人々に向ける、そのようなテロリスト国家が国
境に存在していてはとても実現しないような願いに対して、それを使う国家というの
はどうなのであろうか。
 それは良くないことだと言いたい。アラブの人々は、世界中の人々と同じよう
に、強盗たちが彼らの土地を占領し、それをイスラエルと呼んだことを憎んでいます。
そのため私たちは、彼らとずっと戦争に置かれていました。私たちは正しい主張と
崇高な大義にもかかわらず、彼らと平和交渉をする決断をしました。交渉は30年
前に始まり、毎年のようにイスラエルから約束や合意を聞いていますが、彼らは
、ごく少しのことを除き実行しません。その上、彼らは戦争や殺戮をやめません。
どうかこの時代の歴史に戻って、注意深く見てほしい。
 最後に、次のことを言いたい。この戦争は、世界で最強の戦争マシーンの一国
が非武装の市民に対する戦争として起こしていますが、イスラエルはその目的を達
していないし、最近の停戦とは、イスラエルが非武装の人々が住む小さな土地の侵
略にさえ失敗したことの宣言です。なぜかと言えば、パレスチナ人は彼らの土地
をこよなく愛しており、そのために幸せに死ぬ用意が出来ているからです。
 私はこのことを、みなさんに大声で宣言したい。殺された人たち、殺戮された
子どもたちは、人類としての私たちすべての責任です。そして誰かが血を流すことが
求められています。沈黙はさらに血が流れることでしかありません。真実と解決は、
いまみなさんの手にあるのです。もし、みなさんが、パレスチナなの子どもの叫び
を全世界に聞かせることができるのなら…。ガザから遠く離れたところ―勇気と
誇りをもつ人々の地、日本から。
ありがとうございました。
(地名の表記などが間違っているかも知れません)

IMG_0111.JPG


ニダル・ドワイカットさん(在日パレスチナ人)
日本語訳 沖中格さん

 ようこそお集りいただきました。
 ガザとの団結に来ていただき感謝しています。最初に言っておきたいのは、パレス
チナの悲劇は2008年12月27日に始まったのではないということです。パレスチナの
悲劇は、イスラエルが建国された時に始まったのです。1948年より前の世界地図を
見れば、そこにはイスラエルという国はなく、あるのはパレスチナです。
しかし、イギリス・アメリカそして他のヨーロッパの国々がパレスチナを壊し、イスラエル
に代えたのです。
 建国されて以来、イスラエルはパレスチナの人々に集団殺りくを行っています。
昨年12月の殺りくは初めてではなく、終わりでもありません。イスラエルの前首
相ゴルダ・マエールは、「良いパレスチナ人とは死んだパレスチナ人だ」と言って
います。
 先週、「イスラエル我が家」党党首は、ガザを原爆で攻撃するようイスラエル
政府に呼びかけました。ちょうどアメリカ政府が日本の広島・長崎の人々に対してや
ったように。こういうタイプの人は決して平和を望んでいません。1300人以上の人
びとがイスラエル兵士に殺され5340人が重傷を負いました。死者のうち、417人が
こどもで、110人が女性です。重傷者のうち、1855人がこどもで、795人が女性で
す。こども・女性・老人は兵士ではありません。
 イスラエルは化学兵器のような大量殺りく兵器を使用しました。その中には、
ガザで初めて使用されたものもあります。DIMEと呼ばれるこれらの兵器は、昨年米軍
により開発されイスラエル軍に提供されました。その目的は、ガザのこども・女性・老人
にテストするためです。パレスチナの医師とともに治療にあたったノルウェー
の医師たちが言うには、イスラエル軍が使用した兵器は新兵器で、化学兵器よりも危
険度が高く、その効果は従来の兵器には見られないほどのものです。そのうえイス
ラエル軍は、一般市民の家・学校・大学・祈りの場・病院・国連事務所・消防署を
攻撃しました。
 家を破壊された人々は国連の学校に行きましたが、イスラエル軍はさらにそれ
らの学校を攻撃し、60人以上のこども・母親を殺しました。さらに国連の備蓄食糧を
攻撃しました。ガザの赤十字委員会が言うには、赤十字がまだ生きて血を流している
人がいると言ったにもかかわらずイスラエル軍は、赤十字が傷ついた人々を救助す
ることを決して許可しなかった。赤十字は、殺された母親にすがっている二人の子
どもと殺された家族を発見したが、食糧や水を持たない彼らを助けけられたのはその1
週間後だった。アメリカ・ヨーロッパ政府に聞きたい。こども・女性・老人を殺すことが自衛と言えるの
だろうか?
 私たちはここに、人間としてイスラエルとアメリカに意見を表明するために集
まって いる。犯罪をやめよ。犯罪をやめよ。全人類に対する犯罪をやめよ。
真実・人間愛のもとにここに立っている皆様に感謝します。国籍・人権・居住地
を問わず、人類に対する犯罪に反対する人みんなに感謝します。もう一度。感謝しま
す。



posted by こべっこ at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | アクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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